風水コラム

Q:「風水」とはなんですか?

「風水」に関する記述は、郭璞(かくはく 西暦279~324年)の著した『葬書』のなかに出てきます。
「『気は風に乗じて散じ、水に界すれば止まる』古人はこれを聚めて散ぜしめず、これを行いて止めるあり、故にこれを風水と謂う」と記されています。
つまり、風水とは”蔵風聚水ぞうふうじゅすい”を基本とした中国の選地術であります。これまで「堪輿」あるいは「地理」と称されていた学術が、郭璞によって「風水学」と呼ばれるようになったのです。

Q:中国の風水学の源流はどこまで溯ることが出来るのですか?

河南省の殷墟から発掘された商代(紀元前16世紀~前11世紀)の甲骨文に、周代(紀元前1122~前249年)には「卜居」が行われていたことが記されています。これは、風水学とは言えないという向きもあります。

中国最古の史書『尚書』の「周書・召誥第十四」に次のような話が書かれています。
周の大政治家であった周公は召公に命じて洛邑らくゆう(洛陽)の地形地勢を調べさせたところ、洛邑の中に二カ所良い土地があり、いずれの地に宮城を建て都とするのがよいのか「卜宅」させた、とあります。つまり、あらかじめ何らかの方法で吉地を探し、二者択一になったとき占って決めたということで、その時代に風水学の基礎になるような方法が存在していたと推測できます。都を洛邑に移して東周が始まったのは紀元前770年のことでした。

また、四書五経の筆頭の出てくる『易経』の繋辞上伝に「仰いでは以て天文を観、俯しては以て地理を察す。このゆえ故にゆうめい幽明のこと故を知る」とあります。この一文も風水学との関連を感じさせます。『易経』は別名『周易』というように周の文王と周公が注釈を施したものですが成立年代は不明です。ただ、風水学の母体が、周代よりももっと古くに存在したことを確認できる一文です。

Q:風水学の歴史を大まかに教えて下さい。

風水学が一つの思想体系として成立したのは、前漢(紀元前206~24年)の時代というのが有力でしょう。『漢書』芸文志には「堪輿金匱かんよきんき」十四巻が載っています。また、前漢の許慎きょしんは「堪輿」とは「堪は天道、輿は地道なり」といっており、前述の通り堪輿は風水学の別名です。

次に、「堪輿学原理かんよがくげんり」(南海主人)を参考に、四つの時期に分けて解説します。

第一期(前漢から東晋まで。紀元前206~紀元後420年)風水学草創期

この時代には、相宅・相墓術という名称が使われており、風水学は一思想体系としてすでに位置づけられていました。
代表的な人物には、管輅かんろ郭璞かくはく陶侃とうかん淳于智じゅんうちなどがいます。『淮南子えなんじ』の劉安りゅうあん、『青嚢経せいのうきょう』の黄石公こうせき、『赤霆経せきていきょう』の張良ちょうりょう、『論衡ろんこう』の王充おうじゅうなども風水学に言及していますので、参考までに挙げます。

第二期(唐代から南宋まで。618~1279年)風水学全盛期

この時期に風水学は学術体系として整えられただけではなく、「巒頭らんとう派」と「理気りき派」に大きく分かれ、また大発展を遂げました。その理由としては、唐代末期から南宋に至る五代十国の激動の時代には、人は皆吉に赴き、凶を避け、禍を畏れ、福を求める心理が強く働いたためではないかと推測できます。そして、その要望に応えるが如く多くの術者や風水家を輩出したのです。

代表的な人物には、楊均松ようきんしょう曾文瑞そぶんせん寥金精りょうきんせい頼布衣らいふいの四大名家のほか、呉克誠ごかつせい、呉景鸞けいらん鄒仲容すうちゅうよう傅伯通ふはくつう范越鳳はんえつほう張子微ちょうしびらの名家が出ました。 儒家では、朱熹しゅき、蔡牧堂、蔡季通なども風水学を易理の観点から捉えようとしました。
唐代から南宋に至る600年間は、『易経』の哲理をもとに多くの研究家が様々な理論や思想が展開された時代でした。 主だった人物を挙げると、大衍暦たいえんれきを制定した張遂ちょうすい(僧一行)、「大極図説」を著わした道学の祖、周敦頤しゅうとんい濂溪れんけい)、先天易学の陳搏ちんぱく希夷きい)、「皇極経世書こうきょくけいせいしょ」の邵雍しょうよう康節こうせつ)、張横渠ちょうおうきょ程顥ていこう(明道)、程頤ていい(伊川)、「易本義啓蒙」の朱熹など数多くの優れた学者を輩出しました。

第三期(元代から清代初頭まで。1279~1661年)風水継承期

この時期は風水学が更に発展し、継承されていきます。

明代の代表的な人物には、劉基りゅうき伯温はくうん)が挙げられます。劉伯温りゅうはくうんは、朱元璋しゅげんしょうの軍師として明の建国に力を尽くしたことで有名な人物で、「堪輿漫興」、「地理青嚢経」の著作が残されており、風水学を駆使していたことがうかがえます。 また、明代初頭の幕講僧ばくこうそう(無極子)は宋代の邵康節が著わした「皇極経世書」にもとづき大地の気が二十年ごとに変換し、三元百八十年で一循環するという「元運説げんうんせつ」を発表しました。明代の徐善継・善述兄弟の共著「地理人子須知」、清代初頭の丁丙僕ていぜいはくの「風水祀惑きょわく」も著わされ考証学的にも功績がありました。

第四期(清代中葉現代まで。1662年頃~)風水学衰退・転換期

この時期は風水学が更に発展し、継承されていきます。

清代の康熙帝こうきていの時代頃から、徐々に風水学が批判されるようになります。厳密には康熙帝の時代までは一般に宋学を尊ぶ傾向がありましたが、乾隆帝けんりゅうていの時代に入ってからは宋・明代の学説は退けられ、もっぱら考証学によって経書の真意を理解しようとする風潮が高まりました。そのために風水学は衰退してゆきます。
黄宗義「図書弁惑」、毛奇齢「過渡河図洛書原舛編」、胡渭「易図明弁」、梁啓超「清代学術概論」などの考証学書のなかで、唐代・宋代に構築された風水学を含む易学的形而上けいじじょう学は弁証法により明確にできないとの理由で否定されました。

その一方で重要な文献も著わされました。蒋大鴻の「地理弁正」により、玄空術が説かれたのを端緒に、数種の著述がなされ、沈竹じょう(「じょう」は、しめすへんに乃)の「沈氏玄空学ちんしげんくうがく」で幕を閉じます。
民国以降(大正時代~)で注目されるのは、策群の「宅運新案第一集」、尤惜陰の「宅運新案第二集」、曽子南の「三元地理講義」などです。

Q:現代の風水学の流派を教えて下さい。

易理えきり派、巒頭らんとう派、理気りき派、三合派、三元派、九星きゅうせい派の6流派があります。
そのうち、日本に伝わったのは易理派と三合派と九星派。近年ではそれ以外の流派も学ばれています。

Q:風水を判断するときの基本はなんですか?

風水の三原則は「勢・形・気」です。土地の吉凶を判断するときは、この3点から善し悪しを判断します。

「勢」

万物が持つ目に見えないパワー。一目見たときに感じるインスピレーション的な判断基準。直感的にパワーを感じるかどうかが決め手。その土地に足を踏み入れたとたん、なんとなくすがすがしい感じがしたり、元気になってきたり、のびのびした気持ちになれるなら、それはよい「勢」を持つ場所です。

「形」

「勢」の性質が、外観となって表れたもの。吉の「勢」のある山・川・土地 は、見た目でもわかるような良い姿をしています。その基準は自然界の風物にたとえたり「五行」に照らして判断したりします。外形から見た風水の善し悪しを診断します。

「気」

土地や事物などの位置関係であり、「方位」と同じ意味です。磁石や図面を使って八方位や二十四方位を定め、土地や建物の方位上の吉凶を見ます。

Q:風水を見る心構えは?

風水を見る心構えは「大から小へ」です。
自分の住む土地が、大局的に見て、はたして吉なのか凶なのかを見極めなければ意味がありません。

日本地図の規模からはじめて、大きな鳥になったような気分で見ましょう。県、市、街、住まいのある敷地、建物、建物の内部の順に検討するのです。
山や川に恵まれている土地か。地のエネルギーが満ちているか、それともエネルギーが微弱なのか。殺を受けていないかなど、大きな規模から始めて、徐々に範囲をせばめながら風水上の吉凶を検討してゆきましょう。

風水入門講座 1
風水とは何か、また、風水学の歴史などについて。
風水入門講座 2
風水を観るための2つの観点と、そこから観る東京・京都の都市風水。
風水入門講座 3
屋外風水の吉凶例について。

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